うるわしき・・・

SH-60J 館山121空2002年SPコラボ版

まずは文学ネタですw

やまとは くにのまほろば たたなづく あをかき やまこもれる やまとしうるはし
倭は 國のまほろば たたなづく 青垣 山隱れる 倭しうるはし
(大和の国は国々の中で最も優れた国だ。重なり合って青々とした垣のように国を囲む山々。(その山々に囲まれた)大和は美しい)


上の句は、景行記に出てくる、日本武尊(またの名を倭建命。いずれも読みはヤマトタケルノミコト)が詠んだとされるもので、まぁ、辞世の句の1つとも言われたりしてるんですがw
そしてこの「やまと」は、1つの地区をさしてしまう言葉ではあるのですが、「やまとはくにのまほろば」とか「やまとしうるわし」とかいう言葉は、1度くらいどこかで目にしたり耳にしたりしたことのある言葉じゃないかと思うのですが。


日本は美しい国だと思ってました。


もう本当、この句のとおり。
風景とか風土が美しく、そしてよく「日本人の美徳」とか言われるように、「日本的」なあらゆるもの(道徳観念とかも含む)が美しいのだと、そう思っていたのですが。
先代の総理大臣が「美しい国」を目指して挫折したように、そういうものがなくなっていきつつあるのかな、と思ってしまう今日この頃です。


さて。(←前置き長すぎ!)
思ってたより14日のエントリ【久々のエントリは怒りと呆れで・・・ - 改・TVあわゆき日記】にアクセスがあり、さらにはコメントもいただくことができ、ちょっとビックリしています。
まぁもっとも、コメントいただいたのはサイトの常連さんばかりでありましたがw
そしてそれゆえ、あまり説得力ないのかもしれないんですけどね(^^;


ちょこちょこっと検索して、ヨソ様のブログやBBSなんかで、いろいろな方の意見とかも見てみたのですが。
やはり次の砕氷艦の名前が「しらせ」に決まった経緯については、あまりよいと思っている方が多くはなくて。
なんかちょっと、ほっとした気分も味わったりしたのですが。


一応、ここでもう1つフォロー入れておこうかな、と。

「しらせ」という名前になったことそのものは、あまり強い嫌悪感とかは抱いていないんです。


南極物語」という映画があり、それで南極に興味を持った経緯があるのですが、実際、この映画の舞台になったのは「しらせ」の前身(のさらに前身)である「宗谷」だそうで、これは今、お台場にある「船の科学館」にhttp://www.funenokagakukan.or.jp/展示されていて、船内を見学できるように(http://www.funenokagakukan.or.jp/sc_01/soya.html)なっています。


現在の「しらせ」の1つ前のフネは「砕氷艦ふじ」で、こちらは現在、名古屋港ガーデン埠頭にあり、これまた博物館として公開(南極観測船ふじ)されておりますですが。
私はこの「宗谷」も「ふじ」も、何度か見学に行っているし、現在の「しらせ」ももちろん、見学に行っています。


でもね。
結局、私にとってこれまで「南極観測船=しらせ」のイメージなんですよ。これしか現役時代を知らないから。
白瀬中尉の偉業はもちろん、認めるところです。
「しらせ」の名前の由来が「白瀬中尉(からダイレクト)ではなく、「白瀬氷河(白瀬中尉の名にちなんでつけられた地名)」からだと知ったのは、大人になってからでした。
それくらい「南極観測=白瀬中尉」のイメージがあるのも確かです。
だから、次の砕氷艦の名前が「しらせ」になったことそのものは、そんなにイヤンじゃないんですよ。


ただ、やっぱり、決まった経緯が、好きじゃないのです。


時事通信社「官庁速報ヘッドライン」 (2004年03月15日発行) | 時事通信社「官庁速報ヘッドライン」 - メルマ!」によると、南極観測の存廃問題について、佐々木松美・秋田県金浦町長さんが骨を折ったということがわかります。
思えば、今回が最後の出港となった現「しらせ」と、次の砕氷艦デビューまで1年のブランクが出来てしまったのは、国内で南極観測の維持について、あまり高い評価が得られておらず、十分な予算がとれなかったため、一時は「観測隊・活動」そのものが、丸々なくなってしまうかもしれない・・・という事態に陥ったのです。
そこまでギリギリの状態になってからようやく「もっと南極観測に光を!」みたいな感じで活動があり、遅ればせながらようやく次世代砕氷艦への予算が組まれ、建造が決まったものの、時すでに遅し・・・どうしても1年(自前のフネのことに限定するなら2年)のブランクができることになってしまったわけですが。


ブランク期間がたった1年間ですんだのは、もしかしたらこの金浦長(現にかほ市)の人たちのおかげなのかもしれません。


その実績は認めるし、感謝の気持ちでいっぱいですよ。
結局、私はその時(継続の危機)に大した活動をしていませんもの。せいぜい人にその事実を伝えたくらいで・・・でも、署名活動みたいなのに署名したような気がしなくもないけどw
それを思えば、大口たたける身分でないのは分かってますけどね。


ただ、上記記事の中に

「しらせの名を後継船に残し、金浦の子どもたちがいつかしらせに乗って南極に行くことができるよう、今後も働き掛けたい」


って町長さんの言葉が出てくるんですが。
その前に南極観測船しらせの名は何としてでも残したい」っていう言葉も出てきてるんですよね。
・・・ありゃ、順番、逆にするべきだったかしら? ww



現しらせを「ふじ」や「宗谷」のように維持保管するには、莫大な改修費と維持管理費がかかるらしく、非常に困難である・・・とされています。
その辺については「http://www.asahi.com/science/update/1113/TKY200711130418.html」記事を参照してください。
とにかく。
お台場や名古屋のような、人が集まりやすい場所でさえギリギリらしいし、それを考えると、白瀬中尉の地元・旧金浦町(現にかほ市)での維持はムリだと断言できそうです。
白瀬中尉の名前を残したい気持ちはわかるし、「南極観測船しらせ」を残したい気持ちもわかるし。それが難しいってのも理解してます。
ついで言うと。
同じ南極観測船である「宗谷」と「ふじ」がメモリアル艦として残ってるんだから「しらせ」も残してくれないとフェア(?)じゃない感みたいなのもあるんじゃないかと思うんですが。


でもね。
だったら、金浦の人たちも最初から堂々と「名前は公募じゃなく、白瀬中尉の名前をつけてください」って言えばよかったんですよ。
JAREにしろ文部科学省にしろ、ある程度は命名権のようなものを握ってるんだろうし、結局、予算を組んでもらえるようにした旧金浦町の功績は認めてるんだろうし。
公募しないで、最初から「しらせ(2世)」に決定しちゃってれば、そんなに異論反論はなかったと思うんですよ。


これだからお役所は・・・


と、お役所勤務の経験を持つ私が言ってみるw


・・・と、ここまでを読み返してみて、熱く語りすぎて、なんだかかえって本当のところがわかりにくくなってる気がしたんですがorz


とにかくさ。
憤りの原因は「公約違反」であるということ。
そして純粋無垢な少年少女やオッサンやオバチャンやジジババちゃん、兄さん姉さんたちの夢や希望や善意が踏みにじられたってことですよ。
茶番劇に巻き込まれた気分もありますです。
それが納得いかないんだよってことを。
関係者の方々にわかってもらえたらいいと思うんですけどね。


あと1つ疑問なのは。


これからまた2〜30年が経過すると、件の「しらせ(2世)」も退役せざるを得なくなると思うのですが。
その場合もまたまた公募することになるんでしょうか?
それとも、今後の砕氷艦は全て「しらせ(○世)」という名前にされちゃうってことなのでしょうか?


今回はたまたま「現しらせ」と「しらせ(2世)」の現役時代にブランクが出来たので「現役艦と名前がかぶらない」規定を強行採用できましたが、真っ当に予算編成され、ブランクなく次世代艦が作られるなら、名前カブる時期ができると思うんですが。
そこまでのことも、考えられてたのでしょうかね?
それとも本当にもうこのまま、永代しらせ継承決定なのかしら?


・・・疑問、1つじゃないじゃんwww
ってなわけで、まとまりのないまま終了w


このエントリご覧の皆様の、ご意見ご感想、お待ちしております。



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