思いを寄せてみると

なんとなく居間でまったりしてたら、NHKで「昭和の日」の特集をやっていたので、見るとはなしに見ていた。
昭和天皇崩御から30時間以内に写真を撮って、それを集めるという企画があったらしい。
事前に全国のプロのカメラマン等に声をかけて、数多くの方々が賛同し、そして実際に作品を寄せてきたとかで、そのうちの何点かが公開されていた。

記帳台で記帳する人々。
大通りでデモ(?)行進する人たち。
何かを捧げたのだろう、組まれた手のアップ。
不思議な模様を描く、日に透けたたくさんの雲が浮かぶ薄青い空。
「日常」でしかない風景。

1つのテーマで、限られた(決められた)時間の中で、たくさんのカメラマンが撮り、それを編集するという試みは、非常に稀有な企画なんじゃないだろうか。
作品と記録の、どちらでもありどちらでもないモノだと思った。
そして記録は記憶であるということも、これによって実感させられた。


20年前のあの日、私はまだバリバリ義務教育中の学生だった(←これ、年バレに繋がるなorz)。
秋頃から「自粛ブーム」というのがあって、運動会とかお祭りとかの規模縮小が全国的に行われていた。
言ってしまえば一個人に過ぎない、でもかけがえのない存在であり1つの時代そのものでもある人の体温や血圧が朝晩のニュースで報じられていて。
生まれたときから当然のように平和の中にあり、まだまだ幼かった私には崩御の持つ本当の意味や価値はわからないでいたのだけど。
うっすらと「特別な何かがやってくる」という感覚はあったのだけど、でもやっぱり遠い先の話でしかなかった気がします。


あの日、自分がどこで何をしていたかを覚えていない。
多分きっとニュースを見て、いろんなことを親に聞いたり、仲間同士でくだらない事と一緒に語らったりしながら、でも次の年号を考えていた・・・ことだけは覚えてる。


あれからもう20年。
子供の頃はやたら年号を使って日付を書いていたけど、オトナになってからは専ら西暦を利用するようになっていて。
でもなんだかんだで20年がたって「平成」という文字も音も、そして時代と言うか世界と言うか・・・もすっかり馴染んできた。
思えば私の人生の中で、とっくに「昭和」より「平成」のほうが長くなっちゃってるわけで。
でももしかしたら(こう書いたら不謹慎かもしれないけど)もう1つくらい年号を人生に関する日も来るのかもしれなくて。
そうすると、何が最も長い時代になるのかもわからなくなるね。


たまにはこうして、人生(そのものではなくて)と歴史を、記録や記憶と一緒に振り返ってみるのもいいのかもしれない。
そういう意味では「みどりの日」よりは「昭和の日」のほうが、今日の日付にはしっくりくる気がする。


そんなことを思いながらも・・・今日は1枚も写真を撮りませんでした★
まぁでも、この日記で記録をのこしてるからイイよね?www