どうにも。
昔から自分は視野が狭くて、気遣いとかも苦手で空気も読めなくて。
自分本位で物事をすすめたりするきらいがあって。
いい加減にどうにかしないといけないなぁという自覚はあったのだけど、それがなかなか出来なくて。


「甘える事」が、苦手でした。
「甘えたら負けだ。それは女子供のすることだ」と、子供の頃から思っていて。
「甘える=媚びる」というイメージがあったせいかもしれません。
でもやっぱり、自分は女で子供で、対等あるいはそれに近いつきあいをしてきたつもりでいた目上や年上の友人知人たち・・・近しく親しい人たちはごく自然に甘やかしてくれていたわけで。
それにすっかり慣れていた私。
アホな子がいろいろ勘違いしたまま、その恩恵を与るのが当然のように思って育ってしまいました。こんな年まで。


「甘え」が「ワガママ」と同義語になりかけてました。
そして「無責任」とも「身勝手」とも。


「○○さんなら分かってくれる、許してくれる」
それが当然のようになってしまっていて、「気遣う」事を忘れていました。
この年になって、未だに裏の事情というか空気というかを読んだりできなくて。
自分がいつもストレート勝負なもので、裏表も隠し事もほとんどないもので、常にありったけ・ありのままでいて、だからってそれが言い訳にはならないんだけど。
社交辞令という言葉も知らないわけでもないのだけど。
アホな子なので、かけられた言葉を鵜呑みにしてしまって迷惑をかけたりってのも、どうかな、と。


「いつでも連絡しておいで。グチでも、相談のるからね」
「話したら楽になるからね。試しに言ってみるといいよ」


「甘える=頼る=縋る」
それが間違ってるってのは、分かるんだけどさ。
その他の要素でいっぱいいっぱいな時に、そこまで考える余裕がないってのも、言い訳なんだけどさ。
結局、私の空気の読めなさが招いたネタではあるんですが。
調子こきすぎて(全く無自覚だったんですが)、呆れさせてしまったりとか。
迷惑かけたり、してるわけですね。
それを反省して、少しずつでも、自覚を持って、同じ過ちを繰り返さないようにできたらって、思うんだけど。
それは本当に難しくて。


小さい頃からもっと「甘える」事をしていたら、スキンシップとか、穏やかで優しい気の交流とかして、もっと柔らかに人と接することを覚えることができたんじゃないかなぁと、ちょっとだけ思う。
損してたかなぁ、と。
ただそれは、きっとやっぱり自分が今「甘えてる=逃げてる」から、そうやって理屈をこねて責任を転嫁しようとしてるだけなんじゃないかなぁ、とか。
だって世の中もっともっと、甘えを知らないまま立派に育った方は多くいらっしゃるだろうから。


今からでも変る事は、できるんじゃないかと思う。
ただ、でも。
今すぐにはできないとも思う。
なんだか本当に、今までにないくらい、本当にギリギリのところまで自分がきちゃってる気もするので。


この数ヶ月くらい、ずっとそれが自分の中でぐるぐるまわってまわり続けていて。
誰かたすけてあげてほしいと、どこか他人事のように願いながら多忙さに埋もれていこうとしています。



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