行く人たち、送り出す人たち

お見送りの列の前を行進して通り過ぎると、いざ機上の人へ。
とは言え、ヘリは車みたいに「いきなりエンジンまわして3秒で出発♪」とかってわけにはいかないので・・・エンジン起動、ローター回転開始・・・いよいよ離陸準備・・・となるまで、ちょっと時間がかかるので。
「ただいま、エンジン始動等、離陸の準備を行いますので、今しばらくお待ちください」
みたいな、親切だけどどこか白けた感じのあるアナウンスが場内に流れる。
電車の見送りで発車ベルが鳴ったので後ろに下がったら、実は隣のホームのだった・・・みたいな間の抜けた感じするのだけど。
まさかゴーゴーとエンジン音が轟いたり、バロバロとローターまわしっぱなしの騒音の中で式典をやるわけにもいかないだろうから、仕方ないことなんだろうけど。
(あ、ちなみに。この時点ですでにサブエンジンは起動していて、このときはメインエンジンの起動と言ってたような気がします。この辺も間違いがあったらご指摘ください>関係者の皆様w)


やがてちょっと前に聞いた60Jとはちょっと違った羽音を響かせて、いよいよ60K(10号機ちゃん)が発進することとなる。
ヘリコプターは滑走路を用いず、その場で垂直に上がっていくことも可能ではあるのだけど、基地にいる時は多分きっとちゃんとタキシングして滑走路(ってか、離陸用のスポット?)に出て、それからようやくの離陸となる。
お立ち台(昨日の日記を参照)から見て左にあった機体は、ゆっくりと進みだして転回して180度向きを変え、左手奥・・・・沖ノ島方面に向かう。
ここに来てクルーの家族たちの反応がちょっと変わってきた。
今までなんとなく佇んでるだけみたいだったのが、「パパ〜!」とか「行ってらっしゃ〜い」とか言う声が漏れ始め、子供の保護者たちのうち、屈んで手を添えて一緒に大きく手を振ったり、ぎゅっと子供を抱きしめるような姿が見えた。


そして離陸。


ふわっとあがった10号機ちゃんはそのまま低い高度を保ち、ゆっくりと見送りの列の前(上)を通り抜けてゆく。
見送る隊員たちは緑(フライトスーツ姿)の人も黒くて袖口の眩しい人たちも、帽子を大きく頭上で振りながらのお見送りなのである。
なんだか感慨深い。
そして何より・・・・いざ10号機ちゃんが家族の前を通り抜ける瞬間の、子供たちの声!
「父ちゃ〜んっ!」
「バイバ〜イっ!」
これは・・・切ないですよ。
子供たちが何をどれくらい理解しているのかはわからないけど、でもきっと「いつもとちょっと違う」という雰囲気は察していたんじゃないかな、と思わずにはいられない感じ。


そして意外とスムーズというか、名残惜しげも見せずに、あっさりとK10号機ちゃんは、雲のかなたへと飛び去っていってしまったのでした。
もうちょい、じっくりねちこくローパスとかして欲しかったです。


続く15号機ちゃんは・・・諸事情により、すぐの離陸はないとかで、午後になるだろうとのこと。
さすがにそこまで待つ余裕はないなと思い、多くの人がそうであるように、この場を立ち去ろうとしたのですが。
それだけですまないのが、私なのでした☆


ってなわけで、ひとまずインド洋派遣に係る60Kの出発式のレポはひとまずこれでおしまい。
あとはお待ちかねの雑ネタです☆

本日の画像

行進の列が、見送りの列の最後尾にかかったところでの1枚が、本日の画像です。
さっきモニタがちゃんと映ってた時に加工しておいたのですが、今ちょっとまた不調で、詳細の確認ができないのですが。
手前に1番大きく写っているのが旧101空の旗。カッコイイと思うです。その後ろの白地に赤と青のストライプみたいなのが、旧121空のセンサーマンさんたちの旗・・・だったと思うです。
これ撮りたくて本気でダッシュしたのでした。

行ってらっしゃいませ

部隊旗や行列に見送られる60Kのクルー

4月20日に行われた、インド洋に派遣される護衛官DD107いかづちに搭載されるSH−60Kの10号機と15号機の出発式に参加してまいりましたので、そのレポの第3段(第1段は21日、第2段は22日の日記に書いてあります)です。


てなわけで。
いよいよ派遣される搭乗員さんたちが、派遣される機体へと乗り込むために見送りの関係者(家族や地元の有識者、隊の仲間たち)の前を行進していきます。
館山基地は回転翼機の専用とは言え、飛行機の基地なのでちゃんと滑走路もあるので・・・広いです。
そこに横1列に並んでのお見送りになるもんだから・・・行列の最初と最後をおさえようと思ったら・・・普通にしてたらムリ。
ダッシュで見送る列の最初から最後までを走って追いかけながら、いろいろ撮りましたが、マジでもう・・・息が切れました。
次からはスニーカーで来ようと(スカートでハイヒールってのは、有り得ない感じですた☆)しみじみ実感いたしましたです。


隊員さんたちは、部隊の旗等を携えてのお見送りです。
こう言ったらまたアレなんですが・・・部隊改編して間もないため、まだきっと隊員さんたちの中でもしっくりこないというか、前の部隊への思い入れなんかもあるのかもしれないですね・・・121空とか101空とかの、旧部隊のスコードロン旗がはためいていました。
これがまた・・・カッコイイ!
そして、ますますアレなんですが・・・きっとまだ新しい隊旗が用意しきれていないんだろうなぁ・・・新しい旗でのお見送りはなかったような気がしますです。
いかんせん、急いで撮ってたのと、今ちょっとPCのモニタの調子が悪いので撮って来た写真を大画面で確認することができない状態なので、曖昧にしか書けないのです・・・すみませぬ。
ただ、派遣される方々はちゃんとお揃いの新しい部隊帽をかぶってらっしゃったので・・・この辺は、ちゃんとしっかり気張って送り出しをするんだなぁとw

本日の画像

どうしようか悩んだんですが。ひとまずこっちから。
出発式。
お立ち台で来賓挨拶をする浜田靖一衆議院議員と、それを聞く派遣搭乗員や基地首脳、地元市町の議員さんたち。

お立ち台の隣にいてるのは、群指令で、その隣が主席幕僚さんかな。
21航空隊の指令だったかも? ちと自信ないです。
73空の指令たちはもっと画面右側のほうにいてたのは覚えてるんですが、とにかく撮るのに必死で記憶に残せませんでした。


ところで、この状態で「休め」って、なんだか違和感ですよね。
前に晴海で遠洋航海に出る初任幹部さんたちの出発式に参加した時には「楽に休め」という指示が出て・・・それは私らが学校で習った「やすめ」に近い感じだったのですが。
「気をつけ! 休め! 楽に休め☆」
・・・って、なんかちょっと可笑しいですねw



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インド洋派遣SH-60K出発式@館山基地

さだまさしネタです、タイトルwww
深い意味は全くありません。


さてさて。
SH−60Jの75号機&80号機ちゃんが飛び立ってしまうと少しして、出発式の準備が始まりました。
、おそらく18日にも使われたんであろう金属製のちょっと丈夫そうなお立ち台が2格納庫の前に用意されており、ここがメインの場所になるだろうことは容易に想像がつく。
このお立ち台から海側を向かって右手には乗員の家族が、左手には来賓(周辺市町の首長や議員、国会議員や基地OBなんかも)と、その向こうに館山基地の皆さんが横1列にずらりと並ぶこととなる。
ちなみに派遣される60Kは10号機ちゃんがお立ち台のほぼ正面奥(気持ち左手)に、15号機ちゃんは左手奥に並んでいて、それぞれ機体の前には整備員と思われる緑色のフライトスーツを着た方々が数人ずつ並んでいました。


こういうことを書くとまた「中」から何かツッコミ来ちゃうかもしれないのですが、機密とかではないだろうからウケ狙いで書いちゃうけど。
まず最初に普通の隊員さんたちが並び、家族がならび、それからしばらくしてようやく来賓がBRF室等から出てきて始まることとなる。
もし私がJの撮影のために先に展開していなかったら、どのタイミングで出てくることになったのだろうかw


今回の派遣は前述の通り60Kが2機で、搭乗員が2セット(と呼んでいいんだろうか? 2チームとか言うのが無難?)で8名に、艦載するわけなのでフネのほうにも整備できる人間を派遣するとかで・・・これは先にもうフネに乗っちゃってるんだそうですが・・・が3名の、計11名なんだそうです。
多いのか少ないのか、微妙に判断つきかねる人数なのですが。
現地では基本的には1機が飛んでる間、もう1機はお休み・・・という感じになるとかで、2機がブンブン飛び回るわけではないんだそうです。

一時中断されたとは言え、派遣が始まってから何年も経つというのに、しかも自衛隊好きと言って憚らないでいるクセに、今になってようやく知る事実。
私がこんな程度なら一般社会の(自衛隊には特段の興味や関心のない人たち)の知識や感覚はどんだけのものかな、とも思いますね。

私の身の回りのパンピーの人たちも、私がいろいろ騒いでるので知識や興味を持ったという人が何人かいてるけど、そうでなかったら全く興味も関心も持たないままだったとも言われています。
それを考えると、私のこのヲタクな活動も一種の社会貢献というか、少しは世の中(極々限られた範囲ですがw)の役に立っているのかもしれないですね。


さてさて、そんなこんなで、いざ開式。
まずは群指令の挨拶というか、訓示。
今回で10回目の派遣であり、Kとしては2度目になるということ。
今は風潮とかなんとかもあるので、本当に大変な時期だけど、だからこそ派遣される皆さんには、マジメに頑張って崇高な使命をやり遂げてきてほしい、無事の帰還を祈ります。
・・・ってなような意味合いのことを話していたと思います。
多分、詳しい内容は基地の広報に問い合わせれば教えてもらえると思うので、詳しく知りたい(私の記憶が信用できないw)という方は、直で問い合わせてみてくださいw


それから来賓の紹介と挨拶。
このうち、地元の首長で基地の後援会長(?)でもある館山市長はお立ち台で式辞を述べ、あと記憶に残ってるのは、ハマコーJr.こと浜田靖一衆議院議員もお立ち台での演説でした。
浜田議員は、ちょうど館山市のある千葉12区の選出議員である以外に、過去に衛政務次官衆議院安全保障委員会筆頭理事、副幹事長・防衛庁副長官なんかも歴任されていて・・・防衛庁系には強い人なんですね。そういや、パパ(ハマコー)も安保だのなんだのも言及していたし、その手の役職についてた事もあったような気がするから・・・強いのかなぁとも思いました。(ジュニアさんは名前を忘れてググって調べたので詳細も出せましたw)


撮影については、広報室長および首席幕僚からも許可を得ていたので、マスコミや自衛隊側(館山基地?)の撮影班の方々と同様に、整列する隊員さんたちの前から後ろから右から左から、いろんな角度から撮らせていただくことができました。
ちょろちょろしていて、関係者さんたちには鬱陶しく思われたかもしれませんが・・・こっちも必死だったので、ご理解いただきたく・・・。本当にすみませんです。


基本的に式そのものは地味(と言ったら失礼かもですが)に滞りなくすすみ、見送りの隊員さんたちはずっときれいに整列したままだし、派遣される皆さんもピシッとした表情のまま、気をつけや休めを繰り返している。
家族の方たちは、小さいお子さんもいてるので、きっちりピシッとしていたわけではないけど、泣き出したり暴れたりすることもなく、じっとしながら空やパパ(と思われる)の姿を見つめたりしていました。

そう言えば、予報があんまりよくなくて、雨男さんの本拠地でもあるから、今日の天気は微妙かもと思っていたんですが、雲はもっさり少し厚めに垂れ込めてる感じだけど、うっすら陽も差しかかったりして・・・風も思っていたほどは強くないし、よかったなぁと思いました。
これが雨だったら、関係者さんたちもやりきれない気持ちになったかもです。


挨拶や記念品(?)の授与が済んだあとは、派遣搭乗員さんたちの出発となります。
皆さん整列してお立ち台の前まで進み、そこで右手に折れて、見送る来賓や基地の仲間たちの前を行進して行きます。
なんかちょっと、ジンとくう光景なのですが・・・・基地モニタというよりは、私設広報の撮影班として参加している身では・・・・ゆっくりうっとり感慨に浸りながら見ているわけにも行かず、カメラを構えて行進の後ろをを横を前を走り回って撮影に勤しんだのでした。


ってなわけで、いいとこですがひとまず終了。
また3回連載なのかw

本日の画像

後日日記にさらに後日の「本日の画像」を追加です。
今日はどうやらPCの調子が悪くないみたいで、安心しますた。

上述の、式典のために追い出されることになったSH−60J シーホークちゃん75号機&80号機ちゃん。
あんまり見覚えのない機番なので、もしかしたらヨソから流れてきた子なのかもですが・・・自信はありません☆
とは言え、今月の頭には76号機と隣同士でスタンバってるのが館山城から見えたような気もするのですが・・・部隊改編前からいたのかどうかだよね、問題は。




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インド洋に向けて

海上自衛隊館山航空基地から、今回のインド洋にSH−60Kが2機、派遣されることになったというのを、少し前に基地からの案内(基地モニター関連)で知っていたのだが。
今回、その出発式に参加させていただいたので、そのレポです。


実は今回の派遣は前夜まで海自の公式サイトでアナウンスがないため、情報は出ないままなのかと思いながらチャットをしていたのですが。
日付が変わった頃に、関西在住のお友達(元々はサイトのお客さん)がチャットに入ってきて「明日、ましゅうちゃんの撮影に舞鶴に行きます」なんて宣言してくれて・・・ようやく補給艦が何になるのかを知ったのでしたが。彼のソースもまた海自サイトではなく、防衛省のサイトからだったというので・・・ちち、どうなんだろうと思ってしまったのでした。


さておき。
今回の派遣艦艇は、DD107いかづち&AOE425ましゅうちゃんの2隻であるとのこと。
いかづちについては、事前に基地から届いていた案内状に記載されていたので承知していたし、しらせ体験航海の時にY2に停泊しているのも確認していたので、納得していたのだが。
補給艦・・・・ましゅうちゃんとは思わなかったです。
だって、いかづちの隣に「ときわ」があったからね。そりゃ、ときわちゃんとセットで出て行くって思っても仕方ないでしょ?
まぁでも。
いかづち(というか、あめクラス)に60Kを2機搭載って・・・ちょっと大変そうなイメージなんだけど。
よく考えたら今行ってる「むらさめ」も同じ状態なんだよね?
しかも補給艦は「ましゅう」の2番艦「おうみ」・・・だったよね?(←確認してから書けよ) だとしたら、条件は本当に一緒になるのかにゃ。


この日記で政治的なことを言うのは基本的に避けるつもりでいるので、軽く流すけど。
今回(というか、正しくは1つ前)の派遣は、法整備の不備が原因で半端に終わり、また新しく用意された特別法の元に行われているわけなのですが。
1番最初の頃の派遣は、とにかく世の中も物凄い騒ぎで、思想が右とか左に偏ってる方々のシュプレヒコールなんかも受けたり受け流したりしながら始められ、最後の派遣(期限切れで撤収)の時には、マスコミが現地でフネに乗り込んでその瞬間の生放送なんかもしていたようなのだが・・・再開第1号の派遣出港はちらっとニュースなんかでも見たけど、今回はとにかくそういう話を聞かない。
そして、これが後日に書いてる過去日記なので言ってしまうけど、取材に来てるマスコミは・・・館山には極々少数。そして私自身はニュース等で映像や記事を見ることはありませんでした。


さておき。
案内状によると今回の式典は0945〜の予定。
そのため0930までには会場に来ていて欲しいとのことだったので、0920頃にはもう受付をすませておりましたが。
今回はあまり他の基地モニタさんも参加していない様子。
まぁ、つい2日前に1日がかりで東京湾1周(館山→晴海→横須賀→館山)してきたばっかりで、しかも前回も今回も平日・・・よっぽど好きか自由が利くひとじゃないと、厳しい条件ではあるよなぁと勝手に納得していたのですが。
ちなみに私は本日、たまたま仕事が遅番だったので、式に参加した後にそのまま職場に向かえば間に合う感じだったので行けたのですが・・・もう1日ずれてたら行けませんでした。今回はラッキー。



基地に着くとまずは121・・・もとい、21空のBRF(と書いてブリーフィングと読むらしい)室に通され、お茶かコーヒーのどちらがいいかを聞かれ、お茶をいただいた・・・と思ったけど。
実はその前にBRF室の手前から格納庫内やエプロンの風景を撮影したりして、顔見知りの隊員さんたちに声かけられたり、モニタ仲間さんとお話したりしていたんだった☆ まぁ、おそらくほとんどの人はそういう順序だったんだろうと言うことでwww
中ではモニタに海自の航空部隊系のネタ(ドキュメントっぽいDVD)が流れていて、数人が寛いでいるようだったけど・・・知った顔もなく、なんとなく落ち着かなくて外に出る私w
落ち着かないのはBRF室の雰囲気だけじゃなく、外でSH−60J(ちなみに、KもJもどっちも「シーホーク」って愛称らしい)が離陸の準備をしているのを知っていたからでもありますw


近くにいた兄さんに話を聞くと、どうも予定がずれこんでいるようで、だいたい1時間遅れであるとのこと。
まぁ、そのくらいの遅れだったら仕事に間に合うし、式典が遅れるってことは、きっと今準備中のあのJちゃんズは飛び立って行ってしまう・・・のを見ることはできそうだ。
ってなわけで、その辺にいた人に声をかけると簡単に許可をいただくことができ、案内してくれるオジサマつきで下におりて、モニタ仲間のPeckerSakaiさんと一緒に60Jの撮影会(違)を敢行することになりました。


ちなみに、先にオチを言ってしまうと、Jの撮影にハマってる間にKの出発式の準備が調ったようで結局あの後はBRF室に戻ることはありませんでしたw


60Jは75号機ちゃんと80号機ちゃんがスタンバイ。
この子たちはどちらもロービジ化されていないので、白くて黄色くて可愛い・・・ので、こっちのほうが好みです。
なんかどうも、式典用に滑走路を開けて見栄えを良くするために厄介払いで追い出されるのだそうです。(←9割は誇張されてると思うw)
先日のカラスちゃん(@しらせ艦上)と違い、今回は陸上なんで、出発の前に機体が鎖で固定されてたりはせず、んでも例の緑と赤のボンベは用意されてたりするです。
ぼちぼちメインエンジンが始動してローターも回り始め・・・高まる鼓動w
ある程度は自由に歩きまわれるような許可をいただいていたので、ちょっと前に出たりしながらカメラを構えてみる。
先日のしらせちゃんの時は、借りたままだった135−400のレンズを使っていたけど、今回は直前にそのレンズを返して代わりに20−300(だったかな? 下は忘れた)を借りてきて、次期メインカメラとなる(今はまだ練習中)20Dに装着。
3年ちかく愛用しているキスデジNちゃんには前回同様、本体とセットで買ったEF18−55のレンズを装着。
カメラ2台あるって便利だよね・・・とか言いつつ、まだ使いこなせていない・・・どころか、簡単な設定もわからなかったりして、前途多難。いや、私がマジメに説明書を読んだり。勉強とかすればいいんだろうけどさ★


まぁそれで、60Jを撮っていたのですが・・・機体テールの所属コードの場所は、すでに「21(21航空隊)」と書き換えられていた。
前に来たときはまだ古い所属が残ってたり、消してそのまま(無記入)のものが混在したりしていた・・・気がするんだけど。
ついでに、出ていた60Kも見てみたら・・・どれもやっぱり21空になってました。全部そうなったのかな。


さて、ひとまずここまでで終了します。
体調&PCの調子もイマイチなので、こんなですみません。
ではでは。